前を煽るのは心の余裕が無いから?煽り運転を見つめて
皆様こんばんは、カリキでございます。
今回は近年社会問題になっている煽り運転についてお話ししようと思います。
煽り運転は車内での行き場の無いストレスが具現化したもの
皆さんはクルマで走っていて、煽られたもしくは
車間距離を詰められた経験はあるでしょうか?
恐らく大多数の人が経験された事があるかと思います。
後ろにピタッと来てまるで糸でつながってるかのように張り付いてきたり
酷い時にはパッシングだのクルマを左右に振って追い詰めてくる
されるとイラっと来たり、時には恐怖に感じる事もあるかと思います。
でも残念ながら、それがエスカレートして煽った側が煽られた側を直接罵倒したり
暴力を振るったりというのも現実として見受けられます。
昨年度起きた東名高速での夫婦の死亡事故は、些細なきっかけで加害者が激高し
執拗な煽り運転を経て、最後は高速道路上に降ろすという通常ではありえない
事態へと発展してしまいました。
しかし、ニュース等では現在も煽り運転によるトラブルが
後を絶たずに報道されています。
何故こういった事が起きてしまうのか、それは
運転するという行為自体がストレスになりやすいのです
例えば
・交通集中による渋滞
・自分より遅い速度で走る他のクルマ
・動きの読みにくい歩行者
これらに遭遇するとちょっとムッとしたりしませんか?
「早く行けよ」とか「どっちに行きたいんだよ」ってイライラしたりしませんか?
こうした事にドライバーはストレスを溜めやすい訳です。
さらに厄介なのはクルマが密閉された空間なので
ストレスを吐き出す事が難しくなるのです
同乗者がいるなら愚痴を言って少しは和らぐかもしれませんが
一人で運転しているときはそうもいきません。
だから行き所の無いストレスがどこに行くのかというと
クルマの運転に出てしまうという事ですね。
心の余裕が運転を左右する
私は某メーカーでテストドライバーとして仕事をしていました。
オーバルコースや広い広場のような場所で色んな車を走らせてデータを録る仕事です。
その時同じくドライバーだった先輩に言われた事の1つに
「運転中は自分の心情がモロに出る、不安やイライラを感じたら走るのは止めろ」
というのがあります。
これは実際に仕事をしてて感じた部分でもあります。
ある日、予定より仕事の進みが思わしくなく
私は「このままでは予定通り終わらない」と内心焦っていました。
正直心の余裕が無い状態だったと言えます。
そうすると不思議とクルマの運転にも出てくるんですね
早く終わらせようと思う余り、アクセルを開け
業務優先で前のクルマギリギリの距離で
計測したりとかなり危険な事をしてしまいました
この件で大目玉を喰らったのは言うまでもありませんが
それ以降私は自分の気持ちと向き合い、イライラや不安を感じたら
無理して走行はしないと決意しました。
焦り等で心が揺さぶられると余裕が無くなり
周りへの視野が狭くなって、自分の都合中心の運転になってしまうんですね
煽る側のドライバーの心情も恐らく同じではないでしょうか?
激流を制するは静水
自分が煽られる側にいたとします。
後ろから勢いよくクルマがやってきて、自分の背後にピタリと付きます。
この時自分が行動できることとして
- 車線変更し道を譲る
- 車線変更せずそのままその車線を同じ速度で走る
- 加速して逃げる
の3つがあるかと思います。
しかし、正直1以外はリスクしかありません。
移動せずその車線を走っていれば、煽る側のイライラはより増す事になりますし
加速したとしても、前に詰まって減速するのがオチです。
であれば道を開けるのが一番得策ではないでしょうか?
「えー、なんか負けた気がする」
「こっちは悪くないのになんで譲んなきゃいけないの?」
こう考える人は多いと思います。
確かに大前提として煽る行為をするドライバーに問題がありますし、
断じて容認されることではないと思います。
だけど、これでは双方ともイライラが増してしまいます。
川をイメージしてみてください。
煽る側が激流だとして、これを受け流せば自分への被害は大したことはないでしょう
ただし自分も激流でこれにぶつかれば勢いは止まらず激しい水しぶきが舞うだけです。
煽り運転というストレスの具現化した物に正面からぶつかっていく必要はないんです。
ぶつかっても相手の行動はエスカレートするばかりで何の得もありません。
進路を譲る=受け流すという事をするだけで、気持ち的にも楽になると思います。
ストレスを溜めず、安全運転が出来る事を祈っています。